アンジェラ・アキのすべて

③ Kiss Me Good-Bye ■

2006.03.15
サードシングル Kiss Me Good-Bye


1. Kiss Me Good-Bye (日本語バージョン)
2. Sante Fe
3. 青い影
4. Kiss Me Good-Bye (英語バージョン)


Kiss Me Good-Bye (5:51)
作詞:アンジェラ・アキ 作曲:植松伸夫

Santa Fe’ (4:57)
作詞:作曲:アンジェラ・アキ

青い影 (4:44)
訳詞:アンジェラ・アキ 原作詞:Keith Reid Gary Brooker 作曲:Keith Reid Gary Brooker

Kiss Me Good-Bye -featured (4:58)  
作詞:アンジェラ・アキ 作曲:植松伸夫


初回盤
「Kiss Me Good-Bye」 のミュージック・ビデオ
(FF12の映像とアンジェラのパフォーマンスを融合したPV)を収録


最高位6位 登場回数18回

全世界で5000万本の売り上げを誇るファイナルファンタジーの挿入歌に抜擢されたのがアンジェラ。詞もアキ。タイトル曲は、ファイナルファンタジーXIIの挿入歌 「Kiss Me Good-Bye」 の日本語バージョン。ボーナス・トラックはファンタジーXIIの挿入歌 (英語バージョン) を収録。

タイトル曲はファイナルファンタジーXIIの挿入歌。 『Kiss Me Good-Bye』 の日本語バージョン。英語バージョンはボーナストラックとして収録!
作曲は、これまでFF作品の曲を手掛けてきた植松伸夫が担当。

1ヶ月限定仕様
「ファイナルファンタジーXII」デカラベルステッカー付
※デカラベルステッカーは「飛行艇」バージョン。
※初回生産限定盤とは絵柄が異なります。1ヶ月後から通常盤に切り替わる。

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ファイナルファンタジーXIIの挿入歌ということもあり、裏ジャケ写は3パターンが製作された。

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■2006年3月6日(月曜日) 『Kiss Me Good-Bye』 リリースプロモ用取材インタビュー
アンジーが一番フランクにロジックした内容。


──子供のころはどんな音楽を聴いてたんですか? 何が流行ってました? 特に好きだったアーティストはいました?中学時代にバンドも経験してるんですよね。


小学校いっぱいまで徳島にいて、中学校の3年間は岡山にいたんですね。で、徳島時代の実家っていうのが想像を絶するほどの田舎で、CDショップはもちろん、お店とかもない。
3~4kmくらい行かないと、何かを買うことができなかったんです(笑)。

だからそのころは、学校で話題になっているものを聴くくらいでしたね。で、中学校のときに、私にとっては大都会!って感じの岡山に引っ越してからCDショップに行くようになって。

小室(哲哉)さん全盛の時代。最初に買ったCDが 『ドリームラッシュ』 (宮沢りえ) だから。で、そこから音楽というものをちゃんと聴き始めて。ただ地方だとやっぱりテレビとリンクしてることが多いし、邦楽中心で、自分からお洒落な音楽を探しにいく……なんていうのとは無縁な感じでしたね。

──特に好きだったアーティストはいました?中学時代にバンドも経験してるんですよね。


流行ってるものを聴いてて……という意味で、ハマってたのがX JAPAN。
ちょっとハードなロック・バンドというか、女の子バンドをやろう、みたいな感じでしたね。ちょうどプリプリとかも出てきたころだったから、女の子のロックみたいなものに憧れて。

で、そこから曲もつくり始めたんですよ。 『赤い自転車』 とか 『教室の外』 とか、よくわからない感じの曲ばっかりでしたけど(笑)

──パートは歌とピアノですか?


私はピアノの人で、歌う人は別にいたんです。YOSHIKIさんに憧れていたから、私は曲をつくってピアノ弾いていればいいんだ、という感じで。でも結局、誰の前で演奏するわけでもなく、曲をつくって、ちょっとやって終わったという。

学園祭とかにも出たかったんだけど出られないまま解散してしまったんです。青春の1ページに熱く刻まれてる感じですね(笑)」

──その経験は、現在の音楽性とはリンクしていないですよね。


私のなかでロックというのはものすごくルーツなんだけど、このバンド自体は青春の思い出かな」

──ハーフということでいじめにも遭ったと言ってましたよね。そのころの“痛み”のようなものが、今のアンジェラに何かしらの影響を与えていたりはしないかなと。


いい質問。私が育った田舎はね、たぶん外国人を見たことのない人のほうが多かったんです。うちの母親とスーパーマーケットで買い物をしてると、みんなが、ハッ!みたいな感じになるとか、ファミレスに行くと、それまでガヤガヤしていたのが急にシーンとなったり……っていうのは、いつものことで。

あと、子供っていうのはすごく残酷だから、石を投げられたり、骨折しちゃうようなこともありましたね。私にはひとつ年下の妹がいるんだけど、妹がいて、分かち合う人がいてよかったなあって。ひとりで耐えてたら気が狂ってたと思う。

で、妹はそうやって受けた痛みを外に向けて表現することができたんだけど、私はできなかったんですよ。妹を守る義務感みたいなものもあって。

でも子供というのはコンプレックスを生きるもの……というか、生きていない子供はいないと思うんです。ただ、それはすごくイヤなことだから現実を否定したいし、見たくなければ無視する。私の場合は、自分の母親がほかの子供の親とは違うっていうところに、フォーカスしたくなかった。

でもそのコンプレックスは何なのか? というのが把握できればできるほど、それは強さに変わっていったと思うんですね。コンプレックスを受け入れていくことが自分の個性につながるんだとわかったのは、大人になってからです。

たぶん音楽と並行して実ってきたのかなあと。だから15歳の時にはとうてい表現できなかったことを25歳で表現できて、デビュー曲の 『HOME』 という曲を作った……という感じなんだと思います。

──小さなころに溜め込んだ思いは、音楽を通じて消化していくことができたんですね。    
 


それはあると思いますね。 『HOME』 はね、イヤなことや傷ついたこともたくさんあったはずの故郷を“いいな”と言えるのは、私にとって故郷というのはそれほど素晴らしい場所なんだ、っていうことを言いたかった曲。

──そんなふうに故郷や自分のことを一歩引いて見つめられるようになったのは、いつごろからですか?


日本というバック・グラウンドをメインに持ちながら、アメリカに住んでいたころの自分もうまい具合に混ざってきて、いろんなものが自分の皮膚になってきたなあって感じたのは、この2~3年ぐらいなんですよ。

──2~3年前っていうと、ワシントンD.C.から帰国したあたりですね。アメリカの都会っていうと、人種のるつぼで、自由な空気を想像しがちだけど、ワシントンでの暮らしはどんな感じだったんですか?


私はアメリカでの生活より、日本での生活のほうが全然長いんですよね。だからこそ私にとってのアメリカは、日本人としての自分を表現する場でもあったし、一生懸命に表現したかったというのもあって。ワシントンは国際的だからこそ、みんなが自分のルーツを表現したがるんですよ。アラブの人たちはアラビア人だということを表現したがるし、インド人はインド人のコミュニティが強かった。アジアはアジアでコミュニティを作って……。

でも、私は日本人のコミュニティのなかに、すんなり入っていけないわけですよ。私って何なんだろう、と。日本人の友だちは何人かいたんだけど、私が普通に存在できる場所はどこなの? みたいなことをつねに問いかけてましたね。

──自分の所属する場所はどこなんだろう、と。


そうですね。だから、いまだに徳島の言葉を忘れないっていうのは、そこが私のルーツだからかな……っていうのと、そのことを通して何かを自分に言い聞かせてるのかもしれないなって思うんですよ。


──小さなころからピアノを習ってたんですよね。


そうです。ずっとクラシックをやっていて、中学のころは今以上に上手かったと思うんですよ。すごく練習してたし。

で、高校のときにハワイに移住してからもクラシックの先生について、その先生から“あなたはクラシックの資質があるから、クラシックの道に進むのか進まないのか、今決めたほうがいい”って言われたんです。

──なのにやめちゃったのは、どうして?


この道でやっていける、って言われて、すごく嬉しかったのは本当なんです。今までずっとやってきたクラシック・ピアノでミュージシャンになれるんだ! って。

でもその反面、それだけに縛られるのもイヤだなと思ったし、ポップスも好きだったし、すでに曲も書いてたんです。だから、そこではっきりと“私は曲を作りたいからクラシックのミュージシャンにならないんだ”と決めたんですよね。決めて、解放されたんですよ。

──クラシック・ピアノが物足りなかったというよりも、曲を作っていきたいという選択だったんですね。


そうですね。でもクラシック・ピアノだけじゃなく、歌と一緒になったときのピアノとか、いろんなピアノがある……っていう気持ちもありましたね。大学時代の4年間、先生についてジャズを勉強したときに、うわっ! って。何でもっと早くこれをしなかったんだろうって。あのときの4年間のジャズは、15年間やったクラシックよりも濃厚だったかもしれないくらい自分の音楽に影響を与えてるんですよね。

──ジャズは、理論からピアノ実技まで、すべてインクルードで勉強したんですか?


インクルードでした。副専攻でジャズ・ピアノを専攻したんで、ジャムセッションや即興演奏のなかに放り込まれたり、ラテンのバンドでライブをやりに行ったり。キューバ人しかいないバンドに放り込まれたりとか、すごくいい経験をさせてもらって。譜面が読めるからコードは把握できるんだけど、即興というものとはまったく無縁じゃないですか。クラシックをやってるときはもっと譜面どおりに弾きなさい”とか言われてたのに、今度は“もっと自分を表現しろ”と言われて。その違いに最初はすごく混乱してました。


──そうこうするなかで転機となったのが、'97年に観たサラ・マクラクランのコンサートでしたね。彼女が自分の気持ちを代弁してくれている気がして 「私もこういうことがやりたいんだ」 と気づいた。その時に感じたものを聞かせてもらえますか?


コンサートには1万人くらい観客がいたわけですけど、サラ・マクラクランと、1万人の中のたった1人の私とが、1対1でつながった気がしたんです。彼女がそういうことを求めて曲を作っているのかどうかはわからないけど、そのつながりを確かに感じたんですよ。

映画とかのエンターテインメントではそこまでのつながりを感じないと思うから、音楽って独特というか、不思議だなあと思うんです。

私が歌をうたう意味というのは、そのつながりをどれだけ持てるか、という、つながるために曲を作るし、つながるために歌うんだなって。それは私とあなたというつながりだけではなくて、もしかしたら和解できていない昔の自分や、希望を持っている明日の自分、大切な友だち、私の音楽をいいと思ってくれている人……。何か、いろんなものとつながっていけると思うんです。

私が書く曲っていうのは、自分が失ってしまった何かについてだったり、自分のなかでまだ解決できてないものに対して歌うわけなんです。

たとえば未熟なまま終わってしまった愛にしがみつきながら、でもなんとか解決したいと思って曲をつくるとき、そこに書いた詞の1行に誰かが何かを感じてくれたら、その瞬間にその人と私はつながるんです。

もちろんそれは結果で、私は自分のなかの何かと和解していきたいとか、決着をつけたいという気持ちを、恥ずかしいぐらい丸出しにしているだけなんですけどね。

──たしかフィオナ・アップルが好きでしたよね。女性のシンガー・ソングライターのなかには、彼女のように混沌としたものを混沌のままぶちまける人と、混沌や葛藤などのグシャグシャした感情を整理して、音楽的なクオリティも意識したうえで “作品” にできる人もいると思うんです。どちらのスタイルに共感しますか?


フィオナ・アップルは本当にヤバイっすよね(苦笑)。

特にデビューアルバムはもう、痛々しくって。で、昨年出した3枚目のアルバムも、まだ痛々しいんですよ。デビューしてから約10年、成長していないとも言えるけれど、大人としての客観性を帯びたさらなるグシャグシャ感というのが、これまたすごく好きなんです。

ありのままの自分を出しているという意味で本当に素晴らしいなって。それからアーニー・ディフランコの 『アンタッチャブル・フェイス』 っていう曲があって、これも “fuck you” の連発なんだけど、最高に好き。超ロックだなあと思うんですよね。

──フィオナの曲を聴いてると、大丈夫かなあって思いません?


すごい思う。あなたは10年間でほぼ変わっていないじゃないの、いまだにアングリーなんだねって。でもアングリーな気持ちはよくわかるというか、過去を解放しようと思っても、つきまとうものは、ずっとつきまといますからね。

それにフィオナ・アップルがデビューしたのと同じ18、19歳のときに、もし私もアルバムをつくっていたら、あれぐらいグシャグシャなものになったと思うんですよ。今の私は、ドロドロしたなかにも日差しというか、ちょっとした明かりを入れてるつもりなんです。それは、私が今そういうふうに生きたいから、という部分でもあって。

もうどうしようもない……と思っても、また新しい愛に賭けてみたいという気持ちがあるから、たとえ詞のたった1行であっても、ネガティヴなものをポジティヴなほうに持っていきたいっていうスタイルなんですよね。

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↑ 2005.7.30  『SQUARE ENIX PARTY 2005 幕張』 で同曲が初披露


──新曲の 『Kiss Me Good-Bye』 の話に。今回、作曲のほうは「ファイナルファンタジー」シリーズの音楽を手がけていらっしゃる植松伸夫さんですね。制作の上で、 「ファイナルファンタジー」 のテーマ曲ということは意識したんですか?


意識してないんです。あまり詳しくないし、ストーリーも守秘義務のようなものがあるとかで、あまり聞かなかったんです。

──詞や歌について、植松さんと打ち合わせをしたんですか? 詞は曲を聴いたときのイメージを広げて?


まず詞を書く前に、こういうアイディアなんですというのを聞いてもらったんですけど、もともと植松さんからのオーダーが“僕の曲でアンジェラが歌うっていうんじゃなく、シンガー・ソングライターのアンジェラがこの曲のなかでどう表現するかを追求してほしい”というものだったんですよ。植松さんはエルトン・ジョンが一番好きなアーティストらしくて、だから歌だけじゃなく、ピアノにもフォーカスしてくださったんです。

すごく広がっていく曲だなあと思いながらも、何かせつないものを感じて、このせつなさは何なんだろう? と考えたときに、別れだったり、何かを失ったときのせつなさだったりするのかな、と。でも失ってダメになるんじゃなく、つらい日々を過ごしたあとに、新しい自分や新しい出会いが待っているような……そんなふうに聞こえたんです。

──歌のほうは? 他人の曲で歌うという違和感?


自分でつくるメロディーっていうのは、言ってしまえばカンニングと一緒で、歌いにくいメロディーはつくらないんですよ (苦笑) 。だからこの曲をレコーディングするにあたって、これまでずっとはソングライターという部分にフォーカスしすぎてて、シンガーという部分を忘れてたかも……って思いましたね。

カヴァーをやってきてたのがいい練習だったと思うんですよ。素敵なメロディーを自分の歌詞で表現する、自分のものにする、という部分で違和感はありませんね。

──歌うこと、曲をつくること、歌詞を書くこと、の優先順位はどんな感じなんですか? プロ意識が目覚めてきたってことなのかな?


実は自分のなかでもいろいろ変わってきてるんですよ。2年前に訊かれたら、いいメロディーをつくることが一番の得意技で、その次にいい詞、その次にピアノ、その次に歌……っていう順番だったと思うんです。ずーっとそうだったんですよ。でも 『ONE』 をリリースしてから弾き語りのライブをどんどんやっていくうちに、“歌う”ということと“表現する”ということが、ビュン! と上に来たような気がして。つくるのも歌うのも表現するのも同レベル、順番とかつけてる場合じゃない、みたいな。全部を含めてひとつのプロダクトなんだなあと。

プロ意識はあると思います。声が好きって言ってくれるファンの方の存在だったり。自分のコンプレックスやイヤな部分を、褒めてもらえたり認めてもらえたら、それが自信につながっていくって、あると思うんです。一番大きいのはライブです。この1年、歌とピアノで勝負してきて、その成果かなあと思います。

──dark years……って、C/Wの 『Sante Fe』 は、アンジェラのルーツを感じさせる仕上がりですよね?


そのころのつらい気持ちを歌詞として残せたのが、自分にとっては記録というか。写真と同じで、そのころの自分がたしかに存在したことを残すというのは、すごく大事なことだと思うんです。
Sante Fe』 は古い歌なんですよ。3年くらい前。ひじょうに言いづらいんですけど “dark years” と呼んでいる、私の暗~い時代の後期につくった曲なんです。

──過去なくして現在の自分はない、ということ? 今回シングルに選んだ理由は?


「『Kiss Me Good-Bye』 は、自分のポジティヴな気持ちを歌ったいちばん新しい曲。でも人間っていうのは陰と陽、lightとdarkがあるわけで、これも私であり、こっちも私が通ってきた道だというのを、あえて右と左に置きた。どんなことがあっても前向きに生きたい、と思っても、後ろを振り向かなければならないときが必ず来るんですよ。

それを無視して前に行っても、また同じ溝に落ちて、また同じサイクルで……って。“dark years” は、必ずまた巡ってるんです。でも、後ろを振り向くことによって、危険な道を避けていける能力がつくというか。だから 『Sante Fe』 という曲は、前だけを見てちゃいけない、後ろもちゃんと見ないといけない、という意味での記録なんですよ。だからすごく好きな曲なんです。

ポジティヴだけでもないし、ネガティヴだけでもない。曲調も違う。でも全部が自分だから。この曲、たぶんみんなは曲調のほうに反応すると思うんですけど、どっちかというと自分の心境を描いた詞のほうがポイントなんですよね。

──もう1曲のプロコル・ハルムの 『青い影』 を選んだのは? 『A white shade of pale』 というタイトルではわからなかったことが、 「青い影」 でわかった? 英語の曲に自分なりの解釈をつけて歌う醍醐味って、どんなものですか?


すごく好きな曲なんです。 『青い影』 を初めて聴いたのは大学時代で、遅かったんです。雑誌のインタビューで、ジョン・レノンが好きな曲ベスト3のひとつに挙げてたんですよ。どういう曲だろう?と。で、聴いたときには、クラシックとロックを混ぜるなんてすごい!って感動して。ただ、そのときは、すごく好きだなあっていうだけだったんです。日本に戻って邦題が 『青い影』 だと知ったときに、あぁ!! って何かが閃いてこの曲の内容がわかった気がしたんです。

最初は支離滅裂な詞だなあ、ラリってるんだろうなぁとか思ってたんだけども、 『青い影』 という邦題を見た瞬間、プロコル・ハルムはきっと、こういうことが言いたかったのかなあって。“あのとき僕は人生の十字路で右に行ったけれども、時間が経って振り返ったときに、あのときに左に行っていたら、もしかして幸せになっていたのかもしれない” っていう、一瞬の青ざめ。別に “ああ、ダメだ!” って後悔するんじゃなく、ただ一瞬の青ざめ。それを書いたのがこの詞なんだ、って。そのイメージからこの日本語詞を書いたんです。たとえば英語の曲のもともとの歌詞っていうのは、訳詞で読むよりも、もっと身近なもののような気がするんですよね。

──英語の曲に自分なりの解釈をつけて歌う醍醐味って、どんなものですか?


たとえば英語の曲のもともとの歌詞っていうのは、訳詞で読むよりも、もっと身近なもののような気がするんですよね。

──なんてことないラブソングも、訳詞で読むと、詞の内容はわかるのに感覚がフィットしないってこと、少なくないですね。ブラック・ミュージックのラブソングを、そのまま訳すと日本人には濃厚すぎたり?

でしょ? なんだか難しいじゃないですか。曲のテーマみたいなものを本当の意味で自分のなかに吸収して、“あぁ、なるほど”とわかったうえで、日本語で表現する……っていうのは、私にしかできないことではないけど、私が両方の文化を持っているからこそできるのかなって。さっき話した、自分にとってのコンプレックスやイヤだった部分を強さに変えていく、ひとつの方法かなとも思うんですよね。

──アルバムも楽しみにしてるんですが、どんな感じですか? 前シングルの 『心の戦士』 もチャート・アクションが良かったし、順調ですね。


進んでますよ~。4月の頭で完成させます!
チャートの何位になりたい、っていう気持ちもある反面、やっぱりいいものを残したい、振り返ったときに恥ずかしくないものをつくりたいなって。だからシングルのカップリングとかも、ひとつひとつ大切に思ってつくりたいんですよね。

■2006年3月6日(月曜日) 『Kiss Me Good-Bye』 リリースプロモ用取材インタビュー


取材を終えてアンジェラ・アキは

今日はたくさんいい質問してもらえて話しがいがありました。音楽ライターってすごい!!



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by a20050309 | 2006-03-15 00:00 | ●アンジェラ2006