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アンジェラ・アキのすべて

Early Life Angela Aki

アンジェラアキ海外で結婚したときの話
ヤクルト400のCMソングを担当する切っ掛けとなる、
日本人プロデューサー小西康陽との出会い。
そして、アンジーが触れない米国に家族を残し
日本に帰国(離婚)する要因となった内容? かも。。。
(下に訳アリ)



Early Life

Angela Aki was born in Tokushima,
Japan. Her heritage is extremely mixed: her mother is half Italian and
half American, and her father is Japanese.

Her father, Aki Kiyoshi , is the founder/president of Aeon,
a large Eikaiwa (English conversation) company in Japan.

She also has a sister, Kyla Aki,
who is one year younger than her.

Aki was a very musical child. Apparently when she was
small she shocked her mother when she was very young by
humming a tune that her mother had just sung in perfect tune.

She began by learning classical piano at three years old,
but also learned how to play the violin,
guitar later and drums later on. In late 1992 when Aki was 15,
she moved away from Japan and set up residence in Hawaii,
where she went to high school.

She adopted the name Angela and relegated Kiyomi to be
her middle-name.

Aki won a $2,500US scholarship f
rom her high school (Iolani School) in 1996.

Aki went on to study at George Washington University,
Washington, D.C., and combined International Affairs and Jazz
Studies as some of her subjects.

After watching Sarah McLachlan in concert,
Aki was inspired to become a singer-songwriter like her.

While studying she was musically active, frequently performing at
a coffee house called Jam'n Java.

It was here that music producer Tony Alany worked, and collaborated
with Aki by producing and recording an indies album entitled
These Words that was released in January 2000.

The album is comprised of all English songs,
and features much more guitar than her later works.
Alany and Aki eventually got married after his production work.

During her stay in Washington,
Aki was the opening act for artists such as Ricky Martin,

Judy Collins and Sixpence None the Richer.
She even performed at Al Gore's Christmas party.
Angela Aki graduated from George Washington in May 2000.

Aki held her showcase live at the Luna Park Grille in Arlington,
Virginia, on 2001.11.29 and was
officially credited as 'Angela Aki and her band'.

Later on in 2001, she also held a live in Washington D.C.,
and happened to be overheard by a Japanese CM producer K, who
asked her if she were able to sing for a commercial.

She accepted, and in early 2002 released
a cover of Jimmy Scott's song New Day for the Yakult 400 CM.


英文はアメリカでのプレスリリースです。

訳文は

アンジェラアキの海外デビューから Alany との結婚にいたったきっかけ。

アンジェラアキは、徳島(日本)で生まれた。

彼女のハーフだ。

彼女の母はイタリア人とアメリカ人の親から生まれ、彼女の父は日本人。

彼女の父(アキキヨシ(安藝清))は、Aeon(日本の大きなEikaiwa(英会話)会社)の創設者/社長。

彼女には姉妹(Kyla)がいる。妹は1歳年下。

アキは、非常に音楽の才能がある子供だった。

彼女が小さかったとき、母が作曲した作品を、
譜面だけで簡単に鼻歌で歌ったとき、アキは母親に衝撃を与えたようだ。

彼女は3才からピアノを学び始めたが、

その他にも、バイオリン、ギター、ドラムも学んだ。

アキが15歳の1992年後半に、日本からハワイで居住しました。

そこで、彼女はハイスクール(女子高)に行きました。

名前もアンジェラを採用して、彼女のミドルネームであるキヨミを改名した。

アキは、1996年にハイスクール(Iolani学校)から、$2,500USの奨学金付き学力を得ました。

アキはジョージワシントン大学(ワシントンD.C.)で勉強し続けて、

インターナショナルAffairsとジャズStudiesで音楽の勉強した。

ライブでサラマクラクランを見た後に、

アキはサラマクラクランのようなシンガーソングライターになりたいと夢を持った。

勉強している間の彼女は音楽的に優秀だった。

そして、Jam'n Java と呼ばれている喫茶店で何度もライブをした。

その音楽能力を見せ付けられた音楽製作者 Alany (アンジーの前夫)が
2000年1月にリリースされたThese Wordsと表題をつけられる
インディーアルバムを録音することによってアキとの協力をはした。

アルバムはすべての英語の歌から成って、後の作品より多くのギターを特徴とします。

Alanyとアキは、レコーディンク終了と同時にアキが大学生のときに結婚した。

ワシントンでの彼女の滞在の間に、アキはリッキーマーティンのようなアーティストのためにするために。。

アキは、アルゴアのクリスマスパーティーを開いた。

アンジェラアキは、2000年5月にジョージワシントンから卒業しました。

アキは2001.11.29 

アーリントン(ヴァージニア)でルーナ公園Grilleで

彼女のショーケースライブを持って、『アンジェラアキと彼女のバンド』として公式に認められた。

2001年に、彼女もワシントンD.C.でライブを持って、

偶然日本のCM製作者Kによって聞かれることになった。


彼女がコマーシャルソングを歌って聞かせることを契約するべく、彼女に尋ねた。

アキは受け入れて、2002年前半にヤクルト400 CMのために

「ジミースコット」のカバー契約を解除。

1980年、3歳からピアノのレッスンを始め、小学生時代を徳島県で過ごす。小学6年の時に岡山へ転居し、中学生時代を岡山県で過ごす。この頃に同級生と初めてバンドを結成し、ピアノと作曲を担当する。

1992年、15歳の時ハワイ州へ移住。2003年に日本に帰国するまでアメリカ合衆国・ワシントンD.C.に在住し、ジョージ・ワシントン大学に進学。政治経済学と音楽(副専攻)を学ぶ。大学時代より音楽活動を本格化する。“Angela Aki Band”と言うバンド (音楽)を結成し、メインアクター・ボーカルとして、地元のクラブ・ライブハウス・バーなどに定期的に出演する。

1997年、サラ・マクラクランのライブを観て、音楽の道を志す。

2000年1月4日、在米中に『These Words』(廃盤)でアメリカのインディーズでデビュー。この頃、日本のCMプロデューサーに出会い、楽曲提供を薦められる。また秘書として働くも、音楽を諦めきれずに1年で退職する。

2002年、ジミー・スコットに『New Day』を提供。この曲は、ヤクルト本社のコマーシャルソングとなる。これが日本で使われた自身の最初の楽曲となる。また、ステファニーと『The One』と言う楽曲を共作している。

2004年、日立製作所・DVDカム「Wooo」のCMソングに、その後『ONE (アンジェラ・アキ)』に収録される『愛するもの』が起用される。これを期に日本に帰国。日本でのデビューに向けて音楽活動を行う。


by a20050309 | 2002-02-04 17:30 | ●アンジェラ2002