アンジェラ・アキのすべて

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★★★ NHK 第57回 紅白 歌手別 視聴率

2007.01.05
第57回 2006年紅白 歌手別の視聴率


ビデオリサーチ社が2日発表した紅白視聴率は、
関東地区で第1部が30・6%、第2部が39・8%だった。
第1部は90年と同率で過去最低、第2部も04年の39・3%に次ぐ低さだった。
関西地区も第1部が28・5%で過去最低タイ、第2部が37・6%でワーストを記録した。

「視聴率アップ」 を至上命令に、司会にみのもんたを投入
第2部42・9% (関東地区) と一時的に盛り返したが、長期低落傾向に歯止めはかからなかった。 「多メディア多チャンネル化が進む中、衛星第2テレビ、衛星デジタルハイビジョンでも相当数の方にお楽しみいただけた」 
としている。


アンジーは 39.6% 
DJ OZMAのおかげで、女性ダンサーのニセヌードに
視聴者から苦情が1時間で252件の問い合わせ電話が殺到したのが、直後に歌ったアンジーは不運な出番だったように思うなぁ~(-_-;) 【管理人私見】


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by a20050309 | 2007-01-05 00:00 | ●アンジェラ2007

● 徳島新聞の社説

2007.01.03
社説でアンジェラ・アキ
徳島新聞 ~古里に元気をくれた~


2007年1月3日付け徳島新聞の社説でアンジゥラ・アキのことが取り上げられた。

以下全文

大みそか恒例のNHK紅白歌合戦が昨年はとても身近に感じられた。板野町出身のシンガー・ソングライター、アンジェラ・アキさん(29)が初出場したからだ。 徳島県から久しぶりにメジャーな大型歌手が誕生したことを喜びたい。 紅組の二十番目に登場したアンジェラさんは、自分で作詞作曲した「HOME」を歌う前に、徳島で育った幼いころを阿波弁で振り返って、「亡くなったおばあちゃんのことを思いながら、この曲を作りました」と話した。

 「出身地だけではなく、今まで愛した人たちや、この世にいなくても、愛してくれた人たちのことも、古里っていえる」

そんな気持ちを込めて、アンジェラさんはピアノの弾き語りで切々と歌い上げた。〈ふるさと 心の中で今でも優しく響いてる〉。透き通った歌声が徳島の風景と重なった。 アンジェラさんを愛する古里の親類や知り合いの心にも、しっかりと届いただろう。

アンジェラさんは1997年、日本人の父とイタリア系アメリカ人の母の間に生まれ、12歳まで板野町で育った。 中学生の時に岡山県に引っ越した後、米国の高校、大学に進学。このころ歌手を志し、大学卒業後は米国でアルバイトをしながら、ライブ活動を続けてきた。

2003年に帰国した後、2005年9月にシングル「HOME」で、念願のメジャーデビューを果たした。昨年は六月に発売したファーストアルバム「Home」が50万枚を超えるヒットとなり、十二月には東京の日本武道館でソロライブを成功させた。
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黒縁の眼鏡がトレードマークのアンジェラさん。飾らない人柄で「徳島は自分のルーツ。今も阿波弁が抜けない」という。徳島に時折、帰郷してはライブなどで県民と触れ合いを深めている。

大みそかの徳島新聞ニチヤンには、そんなアンジェラさんの紅白出場を応援する読者から、たくさんのメッセージが寄せられた。「アンジーの歌にいつも元気や勇気をもらっています」(フリーター)、「アンジーには不思議な優しい、癒やしてくれる力がある」(会社員)。

さまざまな格差が社会に広がり、
息苦しくて、若者が夢をあきらめてしまいそうになる時代である。
アンジェラさんのように、自分が愛したり、愛してくれた人たちを、
古里のように思うことができれば、
心によりどころができ、生きる勇気がわいてくる。


人々がアンジェラさんの歌声に癒やされ、元気づけられるのは、そのためだろう。 苦労の末、二十八歳になってメジャーデビューを果たしたアンジェラさんは「デビュー前は、数十人しか入れない小さなライブハウスで死ぬほどライブをこなしてきた」と言う。「ぎりぎりの状態でも、自分で自分をどれだけ信じられるか。夢をかなえるためには、それが一番大切なこと」という言葉は重い。

昨年の暮れには、東大阪市の花園ラグビー場で開かれた全国高校ラグビー大会で、城東高校が県勢として三十六年ぶりに勝利を挙げるといううれしいニュースもあった。 彼らもまた、アンジェラさんのように、夢に向かって精いっぱい努力してきたのだろう。

自分を信じることの大切さをあらためて心に刻み、夢を持って前進する一年でありたい。

徳島新聞

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by a20050309 | 2007-01-03 05:00 | ●アンジェラ2007

★★ オリコン 2006年年間チャートで27位

2006.12.22
オリコンが年間ヒットチャートを発表


オリコンが2006年のシングル&アルバムの年間売上チャートを発表した。今年もっとも売れたシングルは、KAT-TUNのデビュー曲「Real Face」で、ここ数年生まれていなかったミリオンセラーを達成。続く2位は、レミオロメンの「粉雪」。3位には、昨年度のヒットチャート1位に輝いた修二と彰の「青春アミーゴ」が根強く再登場した。KAT-TUNはさらに、2ndシングルの「SIGNAL」が5位に、最新シングル「僕らの街で」が13位にランクイン。5人の人気のみならず、スガ シカオや松本孝弘、小田和正ら充実した制作陣とのコンビネーションも注目を集めた。

EXILEやMr.Children、そして湘南乃風ら男性アーティスト、バンドがひしめくベスト10内に唯一、女性アーティストでランクインしたのがKaoru Amaneの「タイヨウのうた」。沢尻エリカ扮するドラマの主人公がリリースした楽曲だ。また、今年12週連続シングル・リリースやEXILEとのコラボレーションなど、大活躍の倖田來未は、シングル&アルバム・チャートともに大健闘。アーティスト・トータルセールス部門で堂々の第一位に輝いた。

アルバム・チャートを制したのは、平井堅のベスト盤『Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05“歌バカ”』。これまで『LIFE is...』(2003)、『SENTIMENTALovers』(2005)と年間ベスト10に送り込んでいるが、首位に輝いたのは初めて。2位は倖田來未の『BEST~second session~』。3位にはコブクロの『ALL SINGLES BEST』がランク。彼らは、オリジナル・アルバムの『NAMELESS WORLD』も9位に食い込んでいる。4位に入ったDef Techは、昨年の『Def Tech』に続く2年連続のトップ5入り。彼らや湘南乃風、そしてケツメイシなどレゲエをベースにした楽曲がヒットアイテムとして確立したといえる。新人アーティストでは絢香やアンジェラ・アキ、洋楽のダニエル・パウターやシングル・チャートを制したKAT-TUNが活躍。

また、今年の傾向として、前出の平井堅や倖田來未同様にベスト・アルバムが年間チャート30位内に数多く登場した。B'zやZARD、スピッツそして、これまでもコアな音楽ファンの間では人気の高かったが、今年シングルで一気にブレイクしたBONNIE PINKの作品もチャートにランクインした。CDの売り上げ低迷が語られているが、今年も新しい作品や新しいアーティスト、また時代を超えて歌いつがれてゆく曲も誕生している。チャートを眺めつつ今年を振り返りながら、来年の音楽シーンに期待を膨らませたい。

オリコン 2006年年間チャート
アンジェラ・アキ 1stアルバム 『Home』
年間チャートの27位にランクイン

売上げ枚数は451.810



●本人へ5つのインタビュー

――今は夏フェスに出まくってるところですよね?

アンジェラ】 そうです。(このインタビューをした8月2週目の段階で)今、6本終わって、今週末に2つあって、来週は3つあって。


――すごい。どうですか?フェスで歌うのは。

アンジェラ】 大阪での『情熱大陸』のライブで、初めて1万5千人という人の前に出た時に、やっぱり今まで感じたことのないエネルギーを感じましたね。ライブハウスでワンマンをやる時の感じとは全然違う。もちろん、私のお客さんだけじゃないわけだし。でも、4曲歌うとしたら、その4曲でどれだけ私のことをわかってもらえるかっていう意味で、切実な気持ちにもなるし。他は全部バンドだったりする中で、私はどれだけピアノの弾き語りで後ろのほうの人たちにも届けられるか・・・っていうところで気合も入るしね。入りすぎて、おもいっきり力強く弾きすぎてしまって、ヘンな音が出たりとかして。そういうところでいろいろ勉強にもなります。あと、フェスだとリハーサルがないんですよ。だから、ステージに出ていって、“アンジェラ・アキです”って挨拶してイスに座ったら、やけに低くて、“ちょっと待ってて~”って言って、その場で高さを調整したこともあったし(笑)。


――何があるかわからない。

アンジェラ】 そう。あと、そのフェスによって、年齢層もまちまちですからね。『情熱大陸』のライブは20代後半から30代、40代くらいのお客さんで、わりと大人のライブって感じだったし。その逆で、福岡の『HIGHER GROUND』なんかは、オレンジレンジさんとかも出てて、お客さんもティーンのコばっかりなんですよ。で、面白かったのは、その時に初めて、ステージに出てったら“カワイイ~!!”って言われたの。もう、ティーンのお客さん、サイコー!って思って(笑)。で、1曲目に「Kiss Me Good-Bye」を歌ったんですよ。そしたら、みんなが、パンっパンって、私の歌に合わせて手拍子してて(笑)。なんかティーンのパワーをもらった感じでしたね。

――同じように弾き語りで歌っても、いろんな反応の仕方がある。

アンジェラ】 ホントにそうですね。そういうこともわかって、これでまたひとつ強くなって。それがまた自分の次のツアーや、次の次のツアーへのパワーにもなっていくんだなって思いますね。


――この前のワンマンライブまでが、そのタイトル通り“ONE”であり、原点を伝えるところだったとしたら、今はそこから“TWO”に移行する段階の“1.5”って感じですね。

アンジェラ】 ああ、そうですね~。

――因みに次のステップ・・・“TWO”のイメージってありますか?

アンジェラ】 う~ん、多分、“ホーム”の次だから、“アウェイ”な感じかな。


――乗りこんで行く感じ?

アンジェラ】 もちろんピアノを軸にしてやることには変わりないんですけど、ピアノを軸にしつつも、もっといろんなスタイルを見せていきたいとは思ってますね。アップテンポの曲も昔はたくさん作ってたけど、最近はあんまりなかったので、その感じでみんなで楽しめる曲も書いていきたいし。


――もうそろそろ、そのへんの作業も始まりそうな感じなんですか?

アンジェラ】 ぶっちゃけると、まさに始まりだした感じ。曲書きはもう先月から始めてて。けっこう久しぶりなんですよ、曲書きを集中してやるのは。だからもう、すっごいたくさん出てきちゃって。


――それは、気持ち的には『Home』の延長線上なのか、それともあれはあれとして、また切り替えてやっている感じなんですか?

アンジェラ】気持ち的には延長線上。なぜなら『Home』は6月14日(アルバム発売日)に始まった物語ではなくて、10年前から音楽を始めて、そのひとつの形としてできたものだし、その物語はまだ続いていくので。


――じゃあ、ガラッと気分を変えてっていう感じではないんですね?

アンジェラ】う~ん・・・・・・。まあでも、曲によっては、けっこう切り替えて作ったりもしてますね。すごくガッツのある曲を作りたいと思ってて。


――ああ、今のモードは、ガッツなんですね。

アンジェラ】今、ガッツ!(笑)夏フェス三昧だからってこともあるんでしょうけど、モードとしてはガッツですね。


――リスナーとしても、そういうアンジェラの曲っていうのも聴いてみたいので、それはすごく楽しみ。

アンジェラ】うん。まあ急激にものすごくアップテンポな方向へってことではないにしろ、ちょっと跳ねててビート感のあるものを作り出したりはしてますね。ライブでも、そういう曲があると、みんなで一体になって盛り上がれると思うので。期待しててください!


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by a20050309 | 2006-12-22 00:01 | ●アンジェラ2006

★★ NHK 「第57回 NHK紅白歌合戦」 出場歌を発表

2006.11.29
NHK 第57回 NHK紅白歌合戦出場歌手を発表


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NHKは「第57回 NHK紅白歌合戦」の出場歌手を発表した。

紅白初出場が決まった(前列左から)mihimaruGTの2人、BONNIE PINK、徳永英明、DJ OZMA、アンジェラ・アキ、絢香(後列左から)Aqua Timezの5人、SEAMO、

昨年から各3組減った各27組の計54組で、デビュー20周年の年の徳永英明ら12組が初出場を果たした。吉田拓郎らの辞退で目玉的な存在はいないが今年歌手復帰した森昌子も5年ぶりの復帰を果たすことになった。

アンジェラ・アキは自身の携帯の着メロに徳永英明の「壊れかけのradio」 を使っているのはあまりにも有名な話。何せ、最初に買ったレコードが徳永英明の同曲だという。
 

※追記2007.9.21
アンジェラ・アキが9.22のオールナイト・ニッポンでMCをしたとき、
お題が「滑らない話」というテーマの中で
徳永英明の楽屋を訪れ「私、徳永英明さんの曲、ほとんど聴いてます♪」と挨拶したときに話したとか・・・・。
(T_T)で、しまった、と思ったという。それは(ほとんど、ということは、持っていない曲は何なんだという意味でね (^0_0^)♪)アンジェラ・アキは本当にミーハーだった♪(^○^)


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by a20050309 | 2006-11-29 22:15 | ●アンジェラ2006

● 2006.08某日インタビュー

2006.8某日のインタビュー

アルバム『Home』が発売から2ヶ月で50万枚に迫るヒットとなったアンジェラ・アキ。現在はいくつもの夏フェスに出演している真っ最中だが、そんな中、次のステップに向けての準備も静かに進行中。どこよりも早く、彼女の“ネクスト”を訊いてみた。


――今は夏フェスに出まくってるところですよね?


【アンジェラ】 そうです。(このインタビューをした8月2週目の段階で)今、6本終わって、今週末に2つあって、来週は3つあって。

――すごい。どうですか?フェスで歌うのは。


【アンジェラ】 大阪での『情熱大陸』のライブで、初めて1万5千人という人の前に出た時に、やっぱり今まで感じたことのないエネルギーを感じましたね。ライブハウスでワンマンをやる時の感じとは全然違う。もちろん、私のお客さんだけじゃないわけだし。でも、4曲歌うとしたら、その4曲でどれだけ私のことをわかってもらえるかっていう意味で、切実な気持ちにもなるし。他は全部バンドだったりする中で、私はどれだけピアノの弾き語りで後ろのほうの人たちにも届けられるか・・・っていうところで気合も入るしね。入りすぎて、おもいっきり力強く弾きすぎてしまって、ヘンな音が出たりとかして。そういうところでいろいろ勉強にもなります。あと、フェスだとリハーサルがないんですよ。だから、ステージに出ていって、“アンジェラ・アキです”って挨拶してイスに座ったら、やけに低くて、“ちょっと待ってて~”って言って、その場で高さを調整したこともあったし(笑)。

――何があるかわからない。


【アンジェラ】 そう。あと、そのフェスによって、年齢層もまちまちですからね。『情熱大陸』のライブは20代後半から30代、40代くらいのお客さんで、わりと大人のライブって感じだったし。その逆で、福岡の『HIGHER GROUND』なんかは、オレンジレンジさんとかも出てて、お客さんもティーンのコばっかりなんですよ。で、面白かったのは、その時に初めて、ステージに出てったら“カワイイ~!!”って言われたの。もう、ティーンのお客さん、サイコー!って思って(笑)。で、1曲目に「Kiss Me Good-Bye」を歌ったんですよ。そしたら、みんなが、パンっパンって、私の歌に合わせて手拍子してて(笑)。なんかティーンのパワーをもらった感じでしたね。

――同じように弾き語りで歌っても、いろんな反応の仕方がある。


【アンジェラ】 ホントにそうですね。そういうこともわかって、これでまたひとつ強くなって。それがまた自分の次のツアーや、次の次のツアーへのパワーにもなっていくんだなって思いますね。

――この前のワンマンライブまでが、そのタイトル通り“ONE”であり、原点を伝えるところだったとしたら、今はそこから“TWO”に移行する段階の“1.5”って感じですね。


【アンジェラ】 ああ、そうですね~。

――因みに次のステップ・・・“TWO”のイメージってありますか?


【アンジェラ】 う~ん、多分、“ホーム”の次だから、“アウェイ”な感じかな。

――乗りこんで行く感じ?


【アンジェラ】 もちろんピアノを軸にしてやることには変わりないんですけど、ピアノを軸にしつつも、もっといろんなスタイルを見せていきたいとは思ってますね。アップテンポの曲も昔はたくさん作ってたけど、最近はあんまりなかったので、その感じでみんなで楽しめる曲も書いていきたいし。

――もうそろそろ、そのへんの作業も始まりそうな感じなんですか?


【アンジェラ】 ぶっちゃけると、まさに始まりだした感じ。曲書きはもう先月から始めてて。けっこう久しぶりなんですよ、曲書きを集中してやるのは。だからもう、すっごいたくさん出てきちゃって。

――それは、気持ち的には『Home』の延長線上なのか、それともあれはあれとして、また切り替えてやっている感じなんですか?


【アンジェラ】 気持ち的には延長線上。なぜなら『Home』は6月14日(アルバム発売日)に始まった物語ではなくて、10年前から音楽を始めて、そのひとつの形としてできたものだし、その物語はまだ続いていくので。

――じゃあ、ガラッと気分を変えてっていう感じではないんですね?


【アンジェラ】 う~ん・・・・・・。まあでも、曲によっては、けっこう切り替えて作ったりもしてますね。すごくガッツのある曲を作りたいと思ってて。

――ああ、今のモードは、ガッツなんですね。


【アンジェラ】 今、ガッツ!(笑)夏フェス三昧だからってこともあるんでしょうけど、モードとしてはガッツですね。

――リスナーとしても、そういうアンジェラの曲っていうのも聴いてみたいので、それはすごく楽しみ。


【アンジェラ】 うん。まあ急激にものすごくアップテンポな方向へってことではないにしろ、ちょっと跳ねててビート感のあるものを作り出したりはしてますね。ライブでも、そういう曲があると、みんなで一体になって盛り上がれると思うので。期待しててください!


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by a20050309 | 2006-08-08 20:01 | ●アンジェラ2006

● 2006.07.19 インタビュー 西日本新聞・朝刊

2006.7.19
1対1のつながりを大切にしたい
西日本新聞 朝刊掲載
 

アンジェラ・アキは鍵盤をたたきつけるようなダイナミックなピアノプレイと、伸びやかな歌声で独特の存在感を放つアンジェラ・アキ。
オリコン初登場2位のファーストアルバム「Home」に収められた、
聴く人々の心を勇気づける曲の影には、米国での苦労の日々があったようです。


―「Home」が2位に入りましたね。

アンジェラ:びっくりしました。米国でのアマチュア時代、デモテープみたいなCDを1枚500円くらいで売ってたんですけど、500枚売るのに3年かかりましたから。(Homeは)え、2週間で30万枚売れたの? って。信じられない数字です。

―自分としても満足がいくアルバムは?

アンジェラ :満足という言葉では表現できないですね。曲を作り出してから十数年やってきて、アマチュア時代を含めたキャリアの総括。スタートでありゴールである、という感慨深いアルバムです。

―本格的に歌を始めたのは、サラ・マクラクランのライブがきっかけとか。

アンジェラ :18歳のとき、(当時住んでいた)ワシントンD.C.で。ステージに彼女が立ってて、1万人くらいお客さんがいたんですけど、それが1対1万でなく、1対1が1万回という感じなんです。音楽を通してつながってるというのが実感できて、私も音楽をやるなら、こういうことをしたいって。

―米国ではバンドで活動を?

アンジェラ:飲み屋ならバンドで歌ってたし、スターバックスのロビーなら、1人でピアノの弾き語り。

―1対1という気持ちは、今も?
 
アンジェラ:変わってないですね。それが音楽を続けてきた理由。自分を信じてとか、才能があると思ってやってきたのでなく、歌を歌ってるときの1対1という気持ちが原動力です。

―曲の中には、自分に対する応援ソングもあるそうですね。

アンジェラ:自分が落ち込んだときに、どうしたら強くなれるんだろうって思いが、曲に反映されるんです。それが誰かに応援ソングとして届くとしたら、それは私が1人の人間として同じような思いを持って生きてて、同じ感情でつながってるからだと思う。

―米国では時給2ドル13セントのアルバイトもしながら、音楽活動を続けたそうで。

アンジェラ:あまりにも少なくてビックリして、「213」という数字は覚えてます。音楽をやめようとは何回も思ったけど、40歳になって振り返ったときに、ひとしきり頑張ったっていうことが言いたかったんですよね、メジャーデビューできなくても。

―アルバム中の「ハレルヤ」の「笑みの絶えた子供達や愛に飢えた大人達」という歌詞は、現代日本の現状を見て書いた?

アンジェラ:ワシントンD.C.に、だんなさんと弟がイラク戦争に行ってる親友がいて、「(2人の所属)部隊の何人が死亡した」とか電話がかかってくるんです。私はそういう危機感なしに生きてるけど、彼女はあるんだなって。ただ、平和ボケしてる日本といわれるけど、その中でも必死で闘ってる人たちがいると思うし、必死に生きようとしてる子供たちだっているとか、いろんなことを考えて書きました。

―独特のピアノプレイは昔から?

アンジェラ :(クラシックピアノの)先生によく怒られてました、ダイナミックに弾きすぎるって。それはフォルティシモじゃないよ、普通のフォルテだよ、とか。でも、大学時代に学んだジャズを通して、自己流が大事だとわかりました。

―今秋、全国ツアーがありますね。

アンジェラ :キックオフが「Zepp Fukuoka」。すごく楽しみ。

―その福岡の印象は?

アンジェラ:都会の部分と自然の部分が共存してるのがすてき。福岡で買い物するの好きなんですよ。古着屋さんとか充実してるし。すごく好きな場所ですね。

■2006年7月19日付け 西日本新聞 朝刊掲載全文


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by a20050309 | 2006-07-19 05:00 | ●アンジェラ2006

● 2006.03.22 インタビュー

2006.3.22のインタビュー


――中学まで日本に住んで、その後渡米されたアンジェラさんですが、音楽活動を始めたのはいつ頃なんですか?


【アンジェラ】 曲は岡山に住んでいた中学時代からたくさん作ってたんですけど、ただ単に“あなたが好きよ~”っていう曲ではなくて、人に対する大切なメッセージを乗せてもっと深い部分で表現するっていうのは大学時代のライブでやり始めましたね。

――大学時代というと、アメリカに住んでいた事が音楽に影響を与えたんでしょうか?

【アンジェラ】 そうですね。フィオナ・アップルとかアーニー・ディフランコとか、その辺の女性シンガーソングライターにすごく影響を受けて、魂を感じる曲を自分でもやりたいなって思うようになりました。

――歌っている時のアンジェラさんは、確かに魂こもってる感じがします。髪も振り乱して(笑)。


【アンジェラ】 けっこう強烈って言われます(笑)。ヘアメイクさんが“アンジェラはね、歌ってる時はキレイじゃないんだよね”って(笑)。でも表情とか髪とか気にしたりっていうのを通り越してしまうんですよね、歌ってる時は。

――今回の「Kiss Me Good-Bye」も魂のこもった曲で。 『ファイナルファンタジーXII』 の挿入歌なんですよね。


【アンジェラ】 あのね、これ、すごいお話がありまして。アメリカから日本に戻ってきた2003年の頭、まだデビューも決まっていなかった時に、私のデモテープを聴いた植松伸夫さん(ファイナルファンタジーの楽曲を手がけるゲーム音楽界の巨匠)が“この子でやりたい”って言ってくれたんですよ!

――えっ、そうなんだ!売れてから決まった話じゃないんですね。


【アンジェラ】 そう、3年前からあったんですよ。 私がその話を知らないうちに、私の声をイメージして曲も作ってくれていて。単純に“声”で選んでくれたということで、すごい嬉しいんです。

――でも、これまで作詞作曲ともに自分で行ってきたアンジェラさんが、他の方の作った曲に詞を乗せるっていうのは難しいものじゃないですか?


【アンジェラ】 すごく素敵なメロディだったから、歌詞はすぐに思いついたんですけど、“歌う”ことがチャレンジだったんですよ。

最初に歌入れをした時に、なんかこう、自分のものにしきれていないなというのがあって。それで思ったのが、作詞作曲をしない “シンガー” の方って、他の誰が作った曲でも、それを聴くとその方の曲だ! って思えるくらい自分のものに出来る力があるんだけど、“シンガーソングライター”としてやってきた私は、その“シンガー”の部分にフォーカスが足りなかったのかなと。

これはシンガーとしての自分を成長させる良い機会だなと思ったし、植松さんがこんなに良い曲を書いてくれたからこそ、植松さんの曲だけど “アンジェラ・アキの 「Kiss Me Good-Bye」 ” って思われるまでにしたいなと思って。最近ライブで歌うようになって、段々自分のものに出来てきました。

――そのライブ、初のワンマンが5月にあるんですよね。いきなり1500名のキャパシティーがある会場で。


【アンジェラ】 そう。それだけの人が観たいと思ってくれてるっていうのは、もう本当に感動的なことですよね。でも何千人居ても、その場でしか感じられない繋がりを大事にして、1対1の気持ちで伝えていきたいなって思います。


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by a20050309 | 2006-03-22 20:13 | ●アンジェラ2006

● 2005.1002インタビュー

2005.10.02
HOMEリリース後のインタビュー内容


d0128285_2504685.jpgまず始めに、音楽に興味を持ったキッカケを教えてください。

家に電子ピアノがあってよく父が弾いてくれたのを見て、凄く興味を持ったんです。自分から「クラシック・ピアノを習いたい」ってお願いしました。あ、私は徳島の三方を山に囲まれて、テレビのチャンネルが2つしかないような凄い田舎で育ったんですよ。だからピアノの先生も周りにいなくて、本当に遠くまでレッスンに通っていました。

中学に上がった頃にはバイエルやブルグミューラーなどのベーシックな部分のレッスンは終わっていて、ハワイの高校を卒業するまではソロでコンチェルトを弾いたりオーケストラをバックに演奏していたんですが、何となく「クラシックもここまで勉強したけん、もういいかなぁ」と思っていたんです。だけど、ワシントンD.C.の大学に入って、1学期にクラシック・ピアノを勉強したら、その先生が凄く面白い先生だったので、その先生に音楽を習いたいと思い、ピアノを続けたんです。でもその先生はジャズの人だったので、その影響でジャズに傾倒していくんですけどね。


大学というのは音楽大学に行かれたんですか?

専攻は政治経済だったんですが、アメリカの大学って、専攻と副専攻があるので副専攻はジャズ・ピアノにしました。その先生はバークレー出身で、レニー・クラヴィッツのドラマーのシンディ・ブラックマンとバンドをやっていたり、エイミー・マンと一緒に演奏していた人で、本来はジャズの先生なのに部屋一面ビートルズやエルトン・ジョン、ビリー・ジョエルの写真が飾ってあったり、ニルヴァーナが好きだったり、面白い先生だったんですよ。

その先生に4年間ついて勉強して初めてジャズの世界に触れ、即興で演奏する楽しさを知って、ジャム・セッションやラテンのバンドをやったり、ピアノだけでいえばそこでいろんな分野を経験しました。卒業してからはポップスやシンガー・ソングライターとしての活動を始めたんですが、大学4年間でのジャズの勉強にはいろいろ刺激も受けましたし、自分の音楽の中に強い影響を与えていると思います。


大学に行くまではずっとクラシックを演奏されていたわけですが、その当時はクラシック以外の音楽も聴かれていたんでしょうか?

幼い頃から家ではよく音楽が流れていました。千昌夫の次はカーペンターズ、ビージーズかなと思ったらサブちゃんが流れるという感じで、和と洋をミックスして聴いていました。母親もよく歌っていたし、歌には興味がありましたね。

お母さんは私より100倍歌が上手いんですよ! お父さんによく言われるんですけど「おまえがここまでやれるんやったら、お母さんはもっとできとったわ」って(笑)。でもそれくらい歌は身近なもの。それがピアノと一緒になったのは高校くらいからだと思います。たくさん曲を作り始めたのがその頃でしたから。

d0128285_2542843.jpgピアノを途中でやめずに続けてこられた秘訣や、ご自身が行われた効果的なピアノの練習方法を教えてください。

ピアノをやめずに続けられた理由は母のおかげです。実際に何回もやめたくなったんですよ。他の子と遊びたいし、毎日何時間も練習しなくちゃいけない。楽しく練習していたわけじゃないんです。もうやめるって宣言したこともあるんですけど、その時うちの母親は 「やめたいならやめていいよ。でも1ヵ月考えて、それで本当にやめるならもう一度お母さんに言いなさい」 って言ったんです。これは凄くいい方法だと思いますよ。

やめてやる、って思いながら週に1回のレッスンと家での練習をこなすんですけど、なぜか約束の3日前くらいにふと、「いや、やめなくていいんじゃない?」って思うんですよ。なぜかそこで急に音楽の喜びを感じるんですね。約束の日になったら 「どう? ピアノやめる?」 ってお母さんに聞かれるんですけど、 「いや、もうちょっと続けてみる」 って答えちゃう。そういうやりとりが何回かありましたね。無理やりやらされていると感じても、やっぱりどこかに喜びがあるし、好きだから続けているんですよ。そしてそれが最終的にはやめたいという気持ちに勝つんですね。


練習がつらくても上達すればその喜びも大きくなっていきますしね。

その感動とか自分の感じるものが濃厚になってきますからね。工夫した練習に関して言えば、私だけじゃないかも知れないですけど、例えばベートーベンの『月光』を練習していたとします。第1楽章と第2楽章は簡単だから弾けるんですが、第3楽章は難しいので、なかなか上手く弾けないんです。 4段くらいやったらもう嫌や、ってギブアップしたくなるんですけど、そういう時は『月光』のCDの第3楽章を聴いて、耳が理解してから譜面を見て、CDも流して演奏するんです。そうすると演奏に詰まってもCDはどんどん流れていくじゃないですか。

だから一生懸命譜面を読んでついていこうとするんです。その練習のおかげで譜面を読んで消化するスピードが速くなったんですよ。詰まったところで一時停止したり巻き戻したりして何回も練習できるし、CDの演奏は有名なピアニストの方が演奏されているので強弱の付け方とかも譜面に書いてあるのを見るだけじゃなくて聴くほうが実感できるんですよね。このやり方を「それはカンニングですよ」と話される先生も、 「耳で理解することは大切だから」 と言われる先生もいらっしゃいますし、いろいろな考え方があると思いますけどね。

では曲作りについて伺います。曲のイメージはどのような時に浮かぶのでしょう。

環境がすべてなんですよ。「HOME」を作った時も「心の戦士」を作った時も、タッチや音がいいピアノを弾いている時はアイデアが降ってくる量が違うんです。自分で入り込めるんですよね。RD-700SXを弾いている時も弾いていて気持ちいいから勝手に手がどんどん動いていって、弾くのをやめたくないからメロディがどんどん生まれてくる。

RD-700SXのおかげで最近はアルバムに向けてどんどん曲が生まれてるんですよ。自分が一番好きなのはピアノの音だから、ピアノの音色がやっぱり自分のホームなんですよね。だからそのピアノがいい音色であればあるほど快適な家ということです。

では曲作りに関して、アレンジも含めて基本的なワークフローはありますか?

まず私が曲を作ってくるんですが、その時点でアレンジもある程度自分の中で聞こえているんですよね。ここでフィルを入れてとか、大体の骨組みがあって、それを松岡さんに最初に聴いてもらって「いい曲やけどAメロがちょっと弱いかな」とか「サビのフックが足りない」って言われて、もう一度考え直してくるとか(笑)。

その時点でメロディは実際に歌われているんですか? 方向性が一緒なんでしょうね。

きちんと歌詞がのっていることもあるし、単にフレーズだけの時もあります。いろんなこと、本でもそうだと思うんですけど、作者がいい作品を作る、成功するためには天才的なエディターがついているかどうかだと思うんですね。自分で全部やっていないっていうことを暴露するとかではなくて、本当に真剣にサポートしてもらっていて、一緒に曲を作り上げていくんですよ。

3人でひとつの曲に色を付けていくんですけど、でき上がった時に最初に考えていたのと全く違うってことがなくて、ただ、自分の思っていたこと以上に美しい色付けができている。だから3人がイメージしているものがそう遠くないんじゃないかとは思います。

方向性が一緒だし、リズム感とか、曲から生まれるインスピレーションが一緒なんだと思う。でもお互いにない発想を持っているからハッとすることもあります。アイデアを共有して作り上げるから面白いんです。私1人でやっていたらここまでできないです。

1月18日にリリースされた2ndシングル「心の戦士」のコンセプトや聴きどころを教えてください。 「心の戦士」で伝えたかったことは何でしょうか?

一度完成した曲を聴いた時に、松岡さんとの共通の印象として「凄くいいんだけど、ピアノだけ弱いよね」っていうのがあって、せっかくこんなに強いものができたのにこのまま出すのはもったいないって、ギリギリ間に合うかどうかだったけど、1日だけもらってやり直しにレコーディング・スタジオに行ったんです。「よし弾け!」「おっしゃー!」って感じで、歌わなくていいから立ち上がってガンガン弾いていたら、スタジオのアシスタントさんがうわぁ、っていう顔して見てた(笑)。でも心の戦士を聞く度にやり直してよかった! って思うんですよね。

曲のメッセージ自体が凄く前向き。人間は仕事や恋愛などで、日々戦っているものなので、落ち込む時や諦めたくなる時ってたくさんあると思うんです。でも生きることをやめずに前に進むことができるのは、私のイメージでは自分の心のどこかに戦士のような存在がいるからだと思ったんです。それは強さかも知れないし、真の姿とかポリシーかも知れない。そういうイメージが湧いたから歌詞はすんなり出てきましたね。自分を励ますことから始まった曲だけど、この曲を聞いて励まされたと言ってくれる人もいて……。そういう風に誰かが共感してくれるってことがとても嬉しいです。

今後の活動の展望をお聞かせください。

凄く嬉しい言葉ですね。私はピアノを弾いているシンガー・ソングライターといえばアンジェラ・アキって、みんながパッと思い付くくらいになりたい。そのためにライブやCDでより高いレベルを目指してものを作り続けたい。何を弾いても感動させられるんだって気持ちで演奏しなきゃだめですけど、できる限りの高いレベルを目指して、よりいい楽器で、またよりいい環境でピアノ・アーティストとして名前を残していきたいなという気持ちがあります。

よくアーティストの方が「歌を歌っていて1人の人でも人生を変えられたら」っておっしゃいますね。それは素晴らしいことですし、音楽の意味でもあると思います。でも、それが1人よりは100人のほうがいいじゃないですか。100人よりも1,000人のほうがもっといいこと。そういう影響を与えられることができる、どこかしらの位置に自分がいるのであれば、それを甘く見ちゃいけないなと思うし、適当にやってはいけないと思う。


アンジェラさんにとって、音楽は喜びも多いけれど、怖いことでもあるんですね。

凄く怖いです。だって、実際に音楽ってネガティブなイメージを伝えてしまうこともあるわけですから。でも、とにかくいいものを作りたいという気持ちが一番強いですけどね。私は音楽を目指してやっている人たちに向けてのメッセージだとしたら、私も去年デビューした新人ですけど、同期の人たちと比べたら軽く5年は年上なんですよ(笑)。

でも、私が今28歳だから言えることといえば、ただ漠然と「これがやりたい」と言うだけではなくて、明白な夢を持つことが大切だということ。趣味が夢になって実現するには明白な目標があることが大前提だと思います。私もずっと音楽をやっていて、今までも何度もレコード会社と契約するとか、そういう話になったんですが、それが何で上手くいかなかったかというと、明白なゴール、目標がなかったからなんです。

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それは確固たる決意ということにも繋がるのでしょうか。

そうかも知れませんね。半年から1年くらいの短期間と、目標を1~3年の中期間、4~ 5年以上先の長期間の3つに分けたとして、頭で考えるだけじゃなくて、それを紙に書くだけで趣味の枠から一歩踏み出すきっかけになると思います。私もこれから目標としているところに行けるとしたら、これが秘訣なんだよって胸を張って言えるんですけどね。

ワシントンD.C.にいた時にウェイトレスのアルバイトをしていたんですけど、お店にエアロスミスのブラッド・ウィットフォードが来たことがあるんです。そのテーブルに行って、おそるおそる「ブラッド、私も音楽をやっているんだけどひと言アドバイスをください」って言ったら、「ここに座れ」って言われて家族の中に座らせてもらって(笑)。 「アンジェラ、僕は何十年もエアロスミスのメンバーとして音楽の世界にいる。これはなぜだと思う?」 って言うから 「それは天才的なギタリストだからじゃないですか」 って答えたら、 「才能とは全く関係ないんだよ。僕がこれだけ続けてこられたのは、ただ努力してきたから、それだけなんだ。そのことだけは忘れないで欲しい」って言われたんです。目標があってそれに向かって努力をすれば誰だってできることだと。

この言葉は未だに忘れない。その時にもらったサインを今も部屋に飾っていて、自分への戒めになっています。面倒くさくなって諦めたくなる時って必ずあると思う。私にもこれからそういう時が来るはずです。でも頑張ろうって思い直して、またくじけて……。人間はその繰り返しなんじゃないかな。特に若ければ若いほど、早く目標が持てれば早く到達できる可能性も増えてくるわけですからいいですよね。私もそうだし、いろんな理由で回り道する人もいるだろうけど、ここがスタートだという時には目標がとても大切だと思うんですよ。 。

エフェクターの中で特に印象に残っているものはありますか?

向こうでバンドをやっていた時にRD-600を持っていました。海外のアーティストって、ローランドの鍵盤楽器を使っている人が多いんですよね。ライブハウスに置いてあるのもRD-500、600が多かったし。あと、その頃のバンドのギタリストもアンプはJCを使っていました。


なぜRD-600を選ばれたのでしょうか。

A: タッチも弾きやすいし、鍵盤の重さなのかな? 弾きやすいのはもちろんですけど、ステージに立った時のスタイルがいいんですよね。


ピアノの音は聴きなれていると思いますが、ローランドのピアノの音はどのように感じられますか?

A: RD-500や600の頃はそんなにもの凄い、という感覚はなかったんですけど、RD-700SXを最初に弾いた時は、本当にこれは凄い!と思いました。この前ライブがあって、東京では生ピアノを弾いたんですが、その1週間くらい前に大阪でもライブがあって、その時はRD-700SXを弾いたんです。

ここだから言うわけじゃなくて、RD-700Xのほうが音が硬くまとまって出ていくし、モニターの返りがいいから演奏しやすい。特に音が広がっていくオープン・スペースで演奏する時は絶対RD-700SXを使ったほうがいいと思う。RD-700SXは特別で、今までの楽器とは世界観が全然違う感じで、これを弾く時はテンションが上がるんですよね(笑)。


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by a20050309 | 2005-10-02 19:14 | ●アンジェラ2005

Early Life Angela Aki

アンジェラアキ海外で結婚したときの話
ヤクルト400のCMソングを担当する切っ掛けとなる、
日本人プロデューサー小西康陽との出会い。
そして、アンジーが触れない米国に家族を残し
日本に帰国(離婚)する要因となった内容? かも。。。
(下に訳アリ)



Early Life

Angela Aki was born in Tokushima,
Japan. Her heritage is extremely mixed: her mother is half Italian and
half American, and her father is Japanese.

Her father, Aki Kiyoshi , is the founder/president of Aeon,
a large Eikaiwa (English conversation) company in Japan.

She also has a sister, Kyla Aki,
who is one year younger than her.

Aki was a very musical child. Apparently when she was
small she shocked her mother when she was very young by
humming a tune that her mother had just sung in perfect tune.

She began by learning classical piano at three years old,
but also learned how to play the violin,
guitar later and drums later on. In late 1992 when Aki was 15,
she moved away from Japan and set up residence in Hawaii,
where she went to high school.

She adopted the name Angela and relegated Kiyomi to be
her middle-name.

Aki won a $2,500US scholarship f
rom her high school (Iolani School) in 1996.

Aki went on to study at George Washington University,
Washington, D.C., and combined International Affairs and Jazz
Studies as some of her subjects.

After watching Sarah McLachlan in concert,
Aki was inspired to become a singer-songwriter like her.

While studying she was musically active, frequently performing at
a coffee house called Jam'n Java.

It was here that music producer Tony Alany worked, and collaborated
with Aki by producing and recording an indies album entitled
These Words that was released in January 2000.

The album is comprised of all English songs,
and features much more guitar than her later works.
Alany and Aki eventually got married after his production work.

During her stay in Washington,
Aki was the opening act for artists such as Ricky Martin,

Judy Collins and Sixpence None the Richer.
She even performed at Al Gore's Christmas party.
Angela Aki graduated from George Washington in May 2000.

Aki held her showcase live at the Luna Park Grille in Arlington,
Virginia, on 2001.11.29 and was
officially credited as 'Angela Aki and her band'.

Later on in 2001, she also held a live in Washington D.C.,
and happened to be overheard by a Japanese CM producer K, who
asked her if she were able to sing for a commercial.

She accepted, and in early 2002 released
a cover of Jimmy Scott's song New Day for the Yakult 400 CM.


英文はアメリカでのプレスリリースです。

訳文は

アンジェラアキの海外デビューから Alany との結婚にいたったきっかけ。

アンジェラアキは、徳島(日本)で生まれた。

彼女のハーフだ。

彼女の母はイタリア人とアメリカ人の親から生まれ、彼女の父は日本人。

彼女の父(アキキヨシ(安藝清))は、Aeon(日本の大きなEikaiwa(英会話)会社)の創設者/社長。

彼女には姉妹(Kyla)がいる。妹は1歳年下。

アキは、非常に音楽の才能がある子供だった。

彼女が小さかったとき、母が作曲した作品を、
譜面だけで簡単に鼻歌で歌ったとき、アキは母親に衝撃を与えたようだ。

彼女は3才からピアノを学び始めたが、

その他にも、バイオリン、ギター、ドラムも学んだ。

アキが15歳の1992年後半に、日本からハワイで居住しました。

そこで、彼女はハイスクール(女子高)に行きました。

名前もアンジェラを採用して、彼女のミドルネームであるキヨミを改名した。

アキは、1996年にハイスクール(Iolani学校)から、$2,500USの奨学金付き学力を得ました。

アキはジョージワシントン大学(ワシントンD.C.)で勉強し続けて、

インターナショナルAffairsとジャズStudiesで音楽の勉強した。

ライブでサラマクラクランを見た後に、

アキはサラマクラクランのようなシンガーソングライターになりたいと夢を持った。

勉強している間の彼女は音楽的に優秀だった。

そして、Jam'n Java と呼ばれている喫茶店で何度もライブをした。

その音楽能力を見せ付けられた音楽製作者 Alany (アンジーの前夫)が
2000年1月にリリースされたThese Wordsと表題をつけられる
インディーアルバムを録音することによってアキとの協力をはした。

アルバムはすべての英語の歌から成って、後の作品より多くのギターを特徴とします。

Alanyとアキは、レコーディンク終了と同時にアキが大学生のときに結婚した。

ワシントンでの彼女の滞在の間に、アキはリッキーマーティンのようなアーティストのためにするために。。

アキは、アルゴアのクリスマスパーティーを開いた。

アンジェラアキは、2000年5月にジョージワシントンから卒業しました。

アキは2001.11.29 

アーリントン(ヴァージニア)でルーナ公園Grilleで

彼女のショーケースライブを持って、『アンジェラアキと彼女のバンド』として公式に認められた。

2001年に、彼女もワシントンD.C.でライブを持って、

偶然日本のCM製作者Kによって聞かれることになった。


彼女がコマーシャルソングを歌って聞かせることを契約するべく、彼女に尋ねた。

アキは受け入れて、2002年前半にヤクルト400 CMのために

「ジミースコット」のカバー契約を解除。

1980年、3歳からピアノのレッスンを始め、小学生時代を徳島県で過ごす。小学6年の時に岡山へ転居し、中学生時代を岡山県で過ごす。この頃に同級生と初めてバンドを結成し、ピアノと作曲を担当する。

1992年、15歳の時ハワイ州へ移住。2003年に日本に帰国するまでアメリカ合衆国・ワシントンD.C.に在住し、ジョージ・ワシントン大学に進学。政治経済学と音楽(副専攻)を学ぶ。大学時代より音楽活動を本格化する。“Angela Aki Band”と言うバンド (音楽)を結成し、メインアクター・ボーカルとして、地元のクラブ・ライブハウス・バーなどに定期的に出演する。

1997年、サラ・マクラクランのライブを観て、音楽の道を志す。

2000年1月4日、在米中に『These Words』(廃盤)でアメリカのインディーズでデビュー。この頃、日本のCMプロデューサーに出会い、楽曲提供を薦められる。また秘書として働くも、音楽を諦めきれずに1年で退職する。

2002年、ジミー・スコットに『New Day』を提供。この曲は、ヤクルト本社のコマーシャルソングとなる。これが日本で使われた自身の最初の楽曲となる。また、ステファニーと『The One』と言う楽曲を共作している。

2004年、日立製作所・DVDカム「Wooo」のCMソングに、その後『ONE (アンジェラ・アキ)』に収録される『愛するもの』が起用される。これを期に日本に帰国。日本でのデビューに向けて音楽活動を行う。


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by a20050309 | 2002-02-04 17:30 | ●アンジェラ2002